「楠木正成」

 鎌倉幕府軍を迎え撃って撃退した智将です。 
 鎌倉幕府を終焉へと導いた?立役者でもあります。
 時代を変えた人物の一人ということでしょう。 
 その後、不利な条件で足利尊氏軍と戦い敗れ、最後を迎えました。

■千早赤阪城

 そんな楠木正成が、鎌倉幕府軍を迎え撃ったのが千早赤阪城で、
 自軍の数倍の鎌倉幕府軍を撃退した史実がパワースポットの理由です。
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 千早赤阪城は、かなりの山城です。
 写真の入口から、山道を登って、登って、尾根に出たところが城になります。
 正確には、この周辺の山岳地帯全域を要塞化していたとされています。

 その千早赤阪城址の写真は??
 行ってません(笑)

 実は、この先スグの斜面崩壊の現場で、災害復旧対策の調査・設計業務をやったんです。
 それで、ここに来た。
 ここに来たら、千早赤阪城址(入口)があった。

 不謹慎ながら、そういうことで、この城が重要な役割を果たした城と知らなかったのです。
 その当時は。。。。
 知ってたら、登ってますよ。

 このほか、
 千早赤阪村の周辺は、楠木正成の領地であったことから、楠木正成に関する様々な史跡があります。
 そんな目線で、千早赤阪村に来てみてはどうでしょうか?
 
 まぁ、私も、また行く機会はあるかも知れません。
 それまで、千早赤阪城址の本丸登頂は取っておきます。


■楠木正成公 生誕の地

 楠木正成生誕の地という伝承が残る場所があります。
 上記の、国史跡楠木城(上赤阪城跡)から約2キロメートルの場所に位置し、桐山遺跡とともに楠木氏館跡と考えられている候補地の一つだそうです。
 「楠なん公こう誕生地遺跡」は平成2~4年にかけて「くすのきホール」建設に伴って発掘調査がおこなわれており、2重の堀に囲まれた14世紀ごろの建物跡を確認しているそうです。  
 それが、これです。
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 「兵どもが夢のあと」を感じますね。
 鎌倉幕府の滅亡から、室町幕府のはじまりへ向けての激動の時代。

 重ね重ねになりますが、 
 ぜひ、千早赤阪村に、行って見てください。