ネットの記事で、
「三式戦闘機・飛燕の二型(川崎キ61)」
これが、「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」に展示されていると知りました。
その説明にはこうあります。
第二次世界大戦時、当時の川崎航空機が製造した。
主流だった空冷エンジンではなく液冷エンジンを戦闘機に採用。
三式戦闘機(飛燕)として制式採用。
最高速度590㎞/h
上昇限度11,000m
1943年から終戦までの約2年間で約3,000機が生産。
そして、このようにもあります。
2016年、川崎重工の創立120周年記念事業で飛燕再生が行われた。
この2016年のプロジェクトなのですが、実は、私は知っていました。
知っていたので、ネットの記事を見つけて思い出したのです。
カワサキと言えば、バイクのメーカーとして有名です。
もちろん重工業製品も有名です。
そんな川崎重工グループが、昔は戦闘機も作っていたという話でもあります。
その川崎重工業の120周年イベントで、神戸で飛燕の特別展示があって、見に行ったのを思い出したのです。
私は、2016年10月に、行っていますね。
先日の紫電改の話から、連鎖的な思い出しでもあります。
以下、会場で私が撮影した飛燕の写真です。

まずは2階の回廊から撮影したもの。

横方向、正面方向と見て。

また横を見る。
カワサキのバイクも展示されていましたね。
今は、バイクに技術が継承されているということでしょう。

そして反対へ回って見てみる。

1階でも同様に、正面を見てみる。

横に回る。
確かに、水冷エンジンの採用により、先端がスリムになっています。
空気抵抗が小さいですよね、これならば。

後ろに回る。

エンジンを見る。

エンジンの横。
水冷エンジンなので、自動車のエンジンに近い形状でもあります。
当時は空冷式エンジンが主流です。
つまり、星形エンジンが主流でしたので、この水冷エンジンの扱いに大変苦労したという記事も見られます。
その過程で、五式戦闘機という幻の戦闘機が出現したのでしょう。

復元を説明するパネル。

風防の修復やガラス、アクリルパネルの交換の説明。

そして、なぜか最後に、当時の案内板。
これが最初かな。
普通なら。
確かに、戦争の道具である戦闘機を復元して眺めることは一部で批判もあるでしょう。
ただ、かつての日本の技術を残した遺産でもあります。
そして、かつて、日本が軍国として戦ったという事実を後世に示してくれます。
どのような形であれ、その事実は伝えて行かねばならないと思います。
言い方が悪いですが、若い人の中には興味もない人も多いでしょう。
大人もそうかも知れません。
戦争の悲惨さや理不尽さも併せて伝えて行かねばならないと思います。
そのために、飛燕も、紫電改も、各地にある遺されたもの。
これら旧日本軍の兵器とはいえ、「事実」を伝えるための道標となってもらえれば良いのではないでしょうか。
二度と、同じ過ちを犯さないために。
「三式戦闘機・飛燕の二型(川崎キ61)」
これが、「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」に展示されていると知りました。
その説明にはこうあります。
第二次世界大戦時、当時の川崎航空機が製造した。
主流だった空冷エンジンではなく液冷エンジンを戦闘機に採用。
三式戦闘機(飛燕)として制式採用。
最高速度590㎞/h
上昇限度11,000m
1943年から終戦までの約2年間で約3,000機が生産。
そして、このようにもあります。
2016年、川崎重工の創立120周年記念事業で飛燕再生が行われた。
この2016年のプロジェクトなのですが、実は、私は知っていました。
知っていたので、ネットの記事を見つけて思い出したのです。
カワサキと言えば、バイクのメーカーとして有名です。
もちろん重工業製品も有名です。
そんな川崎重工グループが、昔は戦闘機も作っていたという話でもあります。
その川崎重工業の120周年イベントで、神戸で飛燕の特別展示があって、見に行ったのを思い出したのです。
私は、2016年10月に、行っていますね。
先日の紫電改の話から、連鎖的な思い出しでもあります。
以下、会場で私が撮影した飛燕の写真です。

まずは2階の回廊から撮影したもの。

横方向、正面方向と見て。

また横を見る。
カワサキのバイクも展示されていましたね。
今は、バイクに技術が継承されているということでしょう。

そして反対へ回って見てみる。

1階でも同様に、正面を見てみる。

横に回る。
確かに、水冷エンジンの採用により、先端がスリムになっています。
空気抵抗が小さいですよね、これならば。

後ろに回る。

エンジンを見る。

エンジンの横。
水冷エンジンなので、自動車のエンジンに近い形状でもあります。
当時は空冷式エンジンが主流です。
つまり、星形エンジンが主流でしたので、この水冷エンジンの扱いに大変苦労したという記事も見られます。
その過程で、五式戦闘機という幻の戦闘機が出現したのでしょう。

復元を説明するパネル。

風防の修復やガラス、アクリルパネルの交換の説明。

そして、なぜか最後に、当時の案内板。
これが最初かな。
普通なら。
確かに、戦争の道具である戦闘機を復元して眺めることは一部で批判もあるでしょう。
ただ、かつての日本の技術を残した遺産でもあります。
そして、かつて、日本が軍国として戦ったという事実を後世に示してくれます。
どのような形であれ、その事実は伝えて行かねばならないと思います。
言い方が悪いですが、若い人の中には興味もない人も多いでしょう。
大人もそうかも知れません。
戦争の悲惨さや理不尽さも併せて伝えて行かねばならないと思います。
そのために、飛燕も、紫電改も、各地にある遺されたもの。
これら旧日本軍の兵器とはいえ、「事実」を伝えるための道標となってもらえれば良いのではないでしょうか。
二度と、同じ過ちを犯さないために。
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