高石市にある、「伽羅橋」の本家を見に行ってきました。
文化財ですよ!
高石市の高砂公園という場所に移設され、その姿を残しています。
なかなか良いものなので、写真をたくさん入れました。
視覚に訴える方が速いので。。。


当初の建設は、江戸時代(1865年)
今の場所への移設は、1988年。
構造は、石造桁橋、橋長11m、幅員4.5mとされている。


高石市の芦田川に架けられていた紀州街道の石橋です。

すべて花崗岩で組まれており、緩いアーチを描く。
3列の石桁と30cm角程の松材の桁で床板を支えている。
橋の下に入り込んで、下部構造を真剣に見てるヤツって、私くらいでしょう。。。。
この日は寒波襲来で誰も居なくて良かった(笑)

慶應元年(1865)に大鳥郡今在家村(現高石市羽衣)の吉次郎が発起人となり建造したと石碑に掘られています。
元々の伽羅橋の南側に、南朝後村上天皇ゆかりの大雄寺の跡があり、そこに伽羅(香木)の橋が架けられていたのが名前の由来だとされている。
昭和63年に芦田川改修工事に伴って、現在の高砂公園に移設されたもの。

登録有形文化財
第27-0465号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁
なのです。
元々、元祖「伽羅橋」があった場所は、現在は、新・「伽羅橋」になっています。



今風に言うと、「シン・伽羅橋」ですかね。
文化財として保存することは、素晴らしいことです。
他の記事でも何度も言ってますけれども。。。。
文化財ですよ!
高石市の高砂公園という場所に移設され、その姿を残しています。
なかなか良いものなので、写真をたくさん入れました。
視覚に訴える方が速いので。。。


当初の建設は、江戸時代(1865年)
今の場所への移設は、1988年。
構造は、石造桁橋、橋長11m、幅員4.5mとされている。


高石市の芦田川に架けられていた紀州街道の石橋です。

すべて花崗岩で組まれており、緩いアーチを描く。
3列の石桁と30cm角程の松材の桁で床板を支えている。
橋の下に入り込んで、下部構造を真剣に見てるヤツって、私くらいでしょう。。。。
この日は寒波襲来で誰も居なくて良かった(笑)

慶應元年(1865)に大鳥郡今在家村(現高石市羽衣)の吉次郎が発起人となり建造したと石碑に掘られています。
元々の伽羅橋の南側に、南朝後村上天皇ゆかりの大雄寺の跡があり、そこに伽羅(香木)の橋が架けられていたのが名前の由来だとされている。
昭和63年に芦田川改修工事に伴って、現在の高砂公園に移設されたもの。

登録有形文化財
第27-0465号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁
なのです。
元々、元祖「伽羅橋」があった場所は、現在は、新・「伽羅橋」になっています。



今風に言うと、「シン・伽羅橋」ですかね。
文化財として保存することは、素晴らしいことです。
他の記事でも何度も言ってますけれども。。。。
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