滋賀県の北部、そう、福井県との境にある余呉町にある余呉湖。
余呉町の北部は冬は雪に閉ざされるため、その周辺の仕事をしていた時は冬は入れないよと言われていたぐらい関西地方では北国寄りにあります。
そんな余呉町の余呉湖ですが、仕事で余呉町に行った際は寄って休憩することが多かったです。
静かな場所で、とても落ち着きます。
湖の外周をランニングしたこともあります。
そんな余呉湖ですが、なんと、あの有名な賤ヶ岳の合戦の開戦地でもあるのです。
湖のほとりに、立札が立っています。
ちゃんと写真を撮っていました。
立札には、こう書かれています。
「尾の呂が浜 天正11年4月21日の早朝の雨やみの中で馬を洗っていた中川清秀方の馬屋係2人
が突然現れた佐久間盛政の兵に切り殺され賤ケ岳の合戦の火ぶたが切られた所。」


なんとも静かな良いところです。
ここで、天下を左右するような戦があったとは、思えません。
というか、こんな山岳地で、何万もの軍勢同士が激突って、ようやったな。
余呉から敦賀へ向けて、山岳地帯で、歩くのも大変だったろうに。
この山の中、七本槍って7進路を進撃したんでしょうね、山の中を。
ほんまかいな?
と、現地を見ると、思います。
でも、前田利家の裏切りが無かったら、完全に膠着していたんでしょうね。
いつの時代も、何かがきっかけでドラマチックに動くものなんでしょう。
余呉町の北部は冬は雪に閉ざされるため、その周辺の仕事をしていた時は冬は入れないよと言われていたぐらい関西地方では北国寄りにあります。
そんな余呉町の余呉湖ですが、仕事で余呉町に行った際は寄って休憩することが多かったです。
静かな場所で、とても落ち着きます。
湖の外周をランニングしたこともあります。
そんな余呉湖ですが、なんと、あの有名な賤ヶ岳の合戦の開戦地でもあるのです。
湖のほとりに、立札が立っています。
ちゃんと写真を撮っていました。
立札には、こう書かれています。
「尾の呂が浜 天正11年4月21日の早朝の雨やみの中で馬を洗っていた中川清秀方の馬屋係2人
が突然現れた佐久間盛政の兵に切り殺され賤ケ岳の合戦の火ぶたが切られた所。」


なんとも静かな良いところです。
ここで、天下を左右するような戦があったとは、思えません。
というか、こんな山岳地で、何万もの軍勢同士が激突って、ようやったな。
余呉から敦賀へ向けて、山岳地帯で、歩くのも大変だったろうに。
この山の中、七本槍って7進路を進撃したんでしょうね、山の中を。
ほんまかいな?
と、現地を見ると、思います。
でも、前田利家の裏切りが無かったら、完全に膠着していたんでしょうね。
いつの時代も、何かがきっかけでドラマチックに動くものなんでしょう。
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